森の鹿たちは朝の光の中にいます。
一見、天敵もほとんどおらず、のんびり生きているようにも見えますが、よく見ると沢山のダニがついています。血を吸うために皮膚が薄い部分をねらうので、顔、それも目の周りに集中しています。写真を拡大してみると、よく血を吸って膨らんだダニが張り付いていたりします。





鹿にダニがつくように、わたしの腕にも蚊が血を吸いにやってきました。
普段は反射で叩いたり、追い払ったりしてしまうのですが、ふと産卵のために栄養が必要なのだろうと思い、そのまま放置し、動画と写真を撮らせてもらうことにしました。
腕の上で何やら作業をしていたかと思うと、すっと長い針を刺し込みます。腹の中にはわたしの血が溜まり、赤く丸く膨らんでいきます。その間、少し手を動かしてみても気にする素振りも見せず、ただ一心不乱に吸い続けていました。
蚊がよく潰されるタイミングはここかもしれません。
やがて満足したように針を抜き、飛び去っていきました。あんなに血を吸ったら重くてふらふらになるのかと思っていましたが、割と軽やかに飛んでいきました。無事に産卵できるでしょうか。

わたしから血を吸うことで次世代に生命を繋ぐと思うと少し嬉しくもなります。
そして、生まれてくるそのほとんどが、今度はトンボや鳥、コウモリなどによって食べられていきます。受粉活動も含め、蚊もまた生態系の一部をしっかりと担っています。もちろん感染症の懸念もありますが…
しかし、わたしの一部だった血はどのタイミングで「わたし」ではなくなるのでしょう。
蚊の身体に入った瞬間は、まだ蚊という容器に移されただけの「わたしの血液」に過ぎません。
蚊の体内でゆっくりと消化されて、はじめて蚊の一部になっていくのでしょう。そして次の世代の卵になっていきます。そんなことを考えていたら「食べる」の概念が曖昧になってきました。
「食べられる」あるいは「血を吸われる」ということは、単に奪われることでも、一方的な被害でもないのかもしれません。
自分の生命またはその一部が、別の生き物の生命へと姿を変えていく。「食べる」とは生命の更新なのかもしれません。そう考えると、自分の身体は自分だけのものではない気がしてきます。ずいぶん沢山の生命から作られていそうです。
もちろん生き物たちは食べられることを望んではいないでしょうし、わたしも自分が生命を奪われ、食べられる可能性がほとんどない立場にいるから言えることなのかもしれませんが…
満足するまで吸わせたせいかどうかはわかりませんが、蚊に刺された腕は腫れず、痒くもありませんでした。

湖は凪ぎ、湖面には森が映っています。今日もこの景色の中、見えないところで生命の更新が続いています。

