稚児の舞にみる「身体」と「精神」の記憶
古代の精神性や思想は、儀式という「器」の中に保存されています。
もはや一つひとつの動作や言葉、決まり事にどんな意味があったのか、その真意は時の流れの中で忘れ去られていることも多いでしょう。けれど、形式が守られていることで今もその「欠片」に触れることができます。
そうした形式を紐解いてみると、かつての人々が自然や生命をどう捉えていたのか、その精神構造が浮かび上がってくるように思います。
先日拝観してきた河口浅間神社の「稚児の舞」から、そんなことを考えてみたいと思います。









1200年前の祈りと、12歳の境界線
河口浅間神社の起源は、西暦864年に始まった富士山の「貞観大噴火」にあります。この噴火により青木ヶ原樹海が誕生します。この荒ぶる火の神を鎮めるために建てられたのがこの神社であり、その時に奉納された舞が、現在の「稚児の舞」の起源だともいわれています。
現在は、地域の小学1年生から6年生までの女子が、この舞を奉納します。
富士山の神様は、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)という美しい女神です。この女神には有名なエピソードがあります。天孫ニニギノミコトに求婚され、一夜で身籠った際、夫から「国津神(地元の神)の子ではないか」と疑われてしまいます。彼女はその疑いを晴らすため、「天津神の子なら、火の中でも無事に産めるはず」と、自ら産屋に火を放ち、その中で三柱の子を産み落としました。
この強烈な神話のせいかどうかはわかりませんが、彼女は非常に「嫉妬深い」神様だとも伝えられています。「大人の女性が舞を舞うと女神が嫉妬して山が荒れる」そんな理由から、舞い手は12歳以下の少女に限られている、という説もあります。
しかし、神事で私が見た光景は、もうひとつの問いを投げかけてきました。
最奥の上段で、神様に最も近い場所で奉仕をしていたのは、一人の年配の女性でした。
つまり、神域の核心に触れられるのは「少女」か「年配の女性」のどちらかということではないでしょうか。そこには「月経」という、女性のバイオリズムに基づいた明確な境界線があるような気がしました。



「穢れ」は「気枯れ」?
古代日本には、血を「穢れ(けがれ)」と見る思想がありました。現代の価値観では「差別的」と捉えられそうなこの慣習ですが、言葉を少し掘り下げてみると、別の顔が見えてきます。
民俗学の一説では、ケガレは「気枯れ(けがれ)」=「気(生命のエネルギー)が枯渇した状態」を指すとされています。出産や月経は、新しい命を生み出すための凄まじいエネルギーの放出です。その時期の女性は、いわば「気が枯れた」ほどに心身を消耗した状態にあるという考え方です。
神事という特別な非日常の場からは距離を置き、心身を休め、気を養う必要があった。そう考えると、この慣習は排除ではなく、女性の「生命のリズム」に合わせたものと考えることもできそうです。
権力による再定義と、失われた女系の記憶
しかし、歴史をさらに深く遡れば、もう一つの可能性が浮かび上がります。
かつて、新しい命を生み出す女性の身体は、それ自体が神聖なものとして崇められていたはずです。「縄文のビーナス」に代表されるように、命を産み出す力は信仰の対象にもなり得ました。だからこそ世界各地で女性主導の社会が形成されていったのでしょう。
ところが、いつからか社会が女系から男性主導のシステムへと移行していく過程で、その「制御不能な神秘の力」は、男性の権力を守るために「穢れ」として再定義されていったのではないでしょうか。
舞う少女と、奉仕する年配の女性はその「神秘の力」の外にいるものとして、男性中心の秩序にとって「無害化された聖性」だけが神域に残された…という見方もできるのかもしれません。



参道に佇む「生」のシンボル
河口浅間神社の参道の真ん中には「波多志(はたし)神社」という小さな社がります。そこには男性器を象った石が祀られています。日本各地に性器の形をした石を祀っている場所がいくつもあることから、こういった「生命力のシンボル」が肯定されていたはずです。
血を遠ざける本殿の秩序と、生殖を祝う社。 長い歴史の中で幾重にも折り重なり、意味の上書きをされながらも、それらは今もしっかりと残っています。相反するように見えるものもどこかの時点では一対であったりしたのかもしれません。


紡がれ続ける「命の糸」
最後に、舞の中でひときわ印象に残った動作がありました。少女たちが手をくるくると、なめらかに回すような仕草です。わたしにはそれが「糸を巻く」動作のように感じました。古くからの織物の産地であるこの富士北麓で、女性たちは何世代にもわたって糸を紡いできました。舞の中に保存されているのは、単なる振り付けではなく、当時の人々の暮らしの記憶そのものなのかもしれません。そして織物を日本へと伝えたのは「秦氏」だといわれています。そうすると参道中央の「はたし神社」の存在が大きくなってきます。また別の謎へと繋がり終わりがなさそうです。



出産の場所「産屋ヶ崎」へ
午後の舞が終わると、木花咲夜姫を乗せた神輿は「産屋ヶ崎(うぶやがさき)」へと運ばれていきます。女神が燃え盛る火の中で出産したとされる、あの場所です。
「産屋」という地名を出産の場所とした場合にはもう一つの意味が重なってきます。この例大祭は、木花咲夜姫が孫の顔を見に行く「孫見祭」とも呼ばれています。つまりここは、義理の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産に臨んだ場所、とも考えられるのです。
この豊玉姫は、私が普段案内している青木ヶ原樹海の中にある「竜宮洞穴」に祀られている神様であり、浦島太郎の乙姫様のモデルともいわれています。
今度は、そんな樹海に眠る神話の話もしてみたいと思います。
一度迷い込んだ神話の世界からは、なかなか抜け出すことができそうにありません。




