目玉模様の卵
数日前に庭の紫陽花の葉の上に、美しいものをみつけました。
直径わずか1〜2ミリ。綺麗な模様が刻まれています。
その模様を見て、真っ先に頭に浮かんだのは、チベットの「天珠(てんじゅ)」でした。
実物を持っていないので写真はありませんが、天珠に描かれたあの紋様は「目」だと言われています。目の持つ力で魔を払い、災厄を避けるものだそうです。


おそらく、この小さな卵に刻まれた模様も、同じように「目」を模しているのではないでしょうか。動けない卵という無防備な状態で、目の力をもって捕食者を威嚇し、身を守っているのだと思います。
実はこれ、カレハガという蛾の卵だそうです。
成虫になると、その名の通り枯葉そっくりの姿になります。
卵のときは目を模した「威嚇」で敵を退け、成虫になると「擬態」で周囲に溶け込む。一生のうちに、自分の状況に合わせて生存戦略を使い分けているのです。
威嚇と擬態
「威嚇」と「擬態」の大きな境界線は、やはり「その場から動けるかどうか」にある気がします。
動ける生き物は「擬態」の傾向が強いようです。これは、獲物を狙う狩り手側も含めてです。一時的に相手の目を欺き、その隙に近づく、逃げる、あるいは一時的にやり過ごすという行動をします。
反対に「威嚇」が必要なのは、自分自身が動けないときや、逃げられないときです。相手をその場から追い払うために「自分は強いぞ、大きいぞ、毒があるぞ、痛いぞ、不味いぞ」と、敵に向かって文字通り命がけの猛アピールをします。
これは、卵のように「物理的に動けない」場合や、幼虫のように「ゆっくりとしか動けない」場合に限りません。
たとえば「守るべきものがあるから、そこを動けない」という状況もあるでしょう。
わたしの周りにいる生き物で考えてみても、ブルーギルは、オスが一生懸命に敵を威嚇しながら、湖底で卵を守ります。雌の鹿も、小さな我が子がそばにいるときは、逃げることなく毅然と威嚇行動をとります。
オス同士の威嚇もあるでしょう。
人間がプライドや名誉を守るために虚勢を張るのも、一種の威嚇行動なのかもしれません。
動けないから、逃げられないから、守りたいものがあるから。
向き不向きはありそうですが、虚勢を張ることも自然の摂理と考えると、悪く思わなくてもいいのかもしれませんね。

今朝、カレハガの幼虫が卵から孵っていました。
威嚇の目玉模様を内側から破って出てきた幼虫は、今度は黒い毛を全身にまとって身を守っています。

わずか1〜2ミリの小さな球体に書き込まれていた命のドラマは、まだ始まったばかりです。
たくさんの生き物が集まっています。




